屋台ってどんなところ?
博多で「屋台文化」が栄えたのはなぜ?
博多に屋台が増えたのは、全国の他の都市と同様戦後の混乱期。戦争で家族や職を失い生活に困窮した人たちが闇市で食材を仕入れ、屋台で売って糊口をしのいでいたのが始まり。当初は最も手軽に始められるうどんの屋台が多かった。
しかし衛生的に綺麗とは言えなかった屋台は世の中が落ち着くにつれて、じゃま者扱いを受けるようになる。連合国占領下の昭和24年頃から、GHQの意向を踏まえた厚生省が中心となって屋台の排除が行われている。
全国で屋台が消えていく中、博多では昭和25年「福岡市移動飲食業組合」が結成され、署名運動などを行い屋台の存続をアピールした。しかし行政側は昭和30年3月31日をもって屋台の全廃を決定した。これに対し当時県会議員を務めていた河田琢郎は屋台存続運動の先頭に立ち、県の厚生委員会で行政側に働きかけ、屋台側の代表とともに上京し厚生省に直接屋台の存続を訴えかけた。
この熱意がついに行政側を動かし、営業品目を絞ることや加熱方法の工夫、生ものの販売禁止などを条件に屋台の廃止決定を覆した。その後も幾度か屋台の撤去問題が浮上したが、そのたびに市民から存続を望む声が起こっている。
博多っ子にとって屋台は博多の象徴であり、地元の文化遺産として残していこうという熱意が屋台文化を支え続けている。
参考文献:『あなたの知らない福岡県の歴史』
地元の人とお話が出来る
屋台の特徴は何といってもお客さん同士、お店のスタッフとの距離が近いことです。
地元の方から観光客まで、様々な方とのコミュニケーションがとれることは大きな魅力のひとつ。
メニューが豊富で、はしごで色々なグルメを楽しめる
ラーメンだけでなく天ぷらやおでん、焼き鳥などメニューが豊富なためはしご酒にもピッタリです。
最近ではフレンチ料理やワイン、コーヒーなどを提供するお洒落な屋台もあるので女性の方にもおすすめ。